眼。

写真の醍醐味の一つとしてあるのは、人の目とは異なってた状況を、見せてくれる、それが写真の魅力です。

写真の眼を持つということは、普段の日常の生活を送っていると、通りすぎてしまったり、そのようには見えなかったりするのものを、確実に見せてくれることであって、気づかせてくれることであって、

それがフォトグラファーとしての特殊能力です。

写真の眼は、ファインダー越しに見えるものではなく、その眼を持つと日常的にそれが写し出されます。

今、見えているそれよりも、より美しく見るためにはどのように見ればいいか、常にその試行錯誤と、時には獲物を狩るハンターのようにその光景を捕えていきます。

結局、その習性がフォトグラファーの特徴であり、個性であり、技術であり、能力であり、

シャッターをおした瞬間に【変化】を起こせるかどうかがカギとなります。

そうであれば、私たちフォトグラファーがどのような過程においてこの【変化】を容易にできるようになるかということは、やはり常に話題となる内容であり、私たちノーブレムのフォトグラファーもこの【変化】への過程を私たちなりに習得していく必要がありそうです。

【写真の眼をもつ】という段階をこう考えています。

まだ写真を初めて間もない頃は、何が綺麗で、何が綺麗ではないか、何が良くて、何が悪いか、それが全く自分の場合はわからなかったです。

一枚シャッターを押して先輩に見せた写真は、あまりにもひどかったのか、特にコメントすらもらえませんでした。

全員が全員そのような道を進むのか、それは分かりませんが、感覚を持ち合わせていなかった自分の場合を例にすると、「良いという写真を目で見て覚える」、というよりも、「良いとされている写真の頭で理解する」これを毎日繰り返しました。

技術的にも右も左もわからない状態のなかで、ただなんとなく自分の感性で良し悪しは決めれます。ただその感性を一方的に信じる根拠は特になく、「世間が良いという写真」・「有名フォトグラファー」それらの写真を頭で理解して、徹底的にコピーしました。これは【写真の眼をもつ】なかで実際には一番効果的であり、今でも常にやり続けています。

私自身、自分の写真というものに執着したことが今まで一度もありません。とにかく人を撮るカメラマン・フォトグラファーとして、商業カメラマンとして、美しくあれば、お客様が望んでくれるものであれば、とにかくその眼を躊躇なくコピーします。芸術家を目指すのであればタブーなのかもしれませんが、芸術家気質が0がゆえに、たくさんを吸収できる幅があります。

自分が【写真の眼をもつ】ためには、【先に眼を持っているフォトグラファーの眼に使づける】ことで、撮影手法と結果物の写真、この二つを確認することで、大方習得できます。

感性や感覚、人にある独特の雰囲気というのは当然写真にもでてくるものです。ただこの変化させるための【写真の眼】というのは、技術的な内容を指します。

最短でその眼を持つなら…

【とにかく条件を変えて撮影をする】。これしかないと思います。

条件というのは、撮影における全てのものです。

◆被写体

◆光

◆レンズ

◆撮影場所

などなど、

常にこれらが変わる条件を自らが望み、どう変化をしていくのかを思考していく必要があります。

条件を変えることで一番使うのは、頭です。

撮影において不利な条件はものすごく頭を使います。「どうすればいいのか?」、悪条件からの脱出する経験というのが、経験値となり、【筋力】がつきます。
この反復作用がカギです。

一定の条件だけに偏って撮影をしていると、【変化】させる筋力はつかず、【その場にあるものを綺麗にまとめる】という筋力が発達します。もちろんこの力もフォトグラファーとして必須の能力ではありますが、この筋力は【変化】とは反対の【安定】を強化させます。その条件下では良くても。。。

結局、どこまでを求めるかによって、私たちに必要な眼も変わります。

ただ自分だけの眼を持つことで、表現できる世界が広がるのであれば、それを経験していくことは、フォトグラファーとして自然な過程といえるのではないでしょうか。